2014年2月5日水曜日

昭和の俳優 木村功

生まれてこのかた、アイドルにも映画俳優にもクラスの男子にも夢中になることなんて無かった私が、木村功という昭和の隠れた名優に今頃夢中になっている。

きっかけは美輪明宏さんと共演した深作欣二監督の『黒蜥蜴』。元々美輪明宏ファンなのだけれど、この映画の作り方が余りにも面白いのと、作り手が楽しんで作っているのが伝わってくるので、この作品のファンになり繰り返し観るうちに、明智小五郎役の木村功さんのさりげない演技とモノローグの魅力に惹かれてしまった。そこからWikipediaで彼のバイオを読み、出演映画作品を全て調べ年表を作り、Googleでヒットする記事に目を通し、果てはお孫さんのウェブサイト迄辿り着いた。(神様、インターネットをありがとう!)

海外で日本の昭和映画のDVDを探すのは、日本で探すのとは比べ物にならない苦労がある。邦画の名画座なんて無いし、まずDVDのリージョンが違う。でも、木村功さんは中期黒澤映画の常連なので、以外と海外でも彼の演技を観る事が出来る。『野良犬』、『生きる』、『七人の侍』、『天国と地獄』等である。他にはアメリカのHulu plusという映画やテレビ番組の有料配信サイトで小林正樹監督『美しき歳月』、篠田正浩監督『私達の結婚』、『暗殺』、五社英雄監督『丹下左膳 飛燕居合切り』を英語のサブタイトル付きで観る事が出来る。

*日本でもHuluが配信になってから、アメリカ版Huluの配信内容がガラッと変わってしまい、2018年の時点では殆ど観ることが出来なくなってしまいました。Amazon等で探してください。


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書籍に至っては、功さんの思い出と闘病記を記した奥様の木村梢さん著書『功、大好き』や、わずか3ページしか出ていないのに、旅立たれる直前に撮影された『男の肖像』(稲垣功一)という写真集迄手に入れる惚れ込みようである。我ながら、ここ迄来るとストーカーかアホである。私の主人も呆れ顔で木村功をテーマに論文でも書くのか?と言っている。


男の肖像 (1981年)




功さんはこれと言って派手なスター的容姿では無いけれど、小学生の頃に良くテレビの時代劇や現代劇で見覚えのある役者さんである。私の家族は芝居好きではなかったので、劇場で新劇を観るような習慣は無かったけど、戦後の映画全盛時代には両親も萬屋錦之助と共演した東映映画等は観た事だろう。実は美空ひばりさんとも共演しているのが、私としては嬉しい。『べらんめえ探偵娘』『ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く』である。これ、DVDになりませんかねえ、東映さん?(私は密かにひばりファンである。彼女も若い頃にジャズにチャレンジしていてCDが出ている。)

なぜ、俳優木村功にこれほど迄に惹き付けられるのか?と分析してみると、私の父方の祖父より3つ年上の大正生まれで、母方の祖父に顔がそっくりである。っていうのはちょっと嬉しいが、大した理由では無い。私はジャズ歌手なので、オペラ歌手やミュージカル女優の様に歌いながら演技はしないが、歌詞の解釈とある程度の表現を考える。功さんの演技には本を徹底的に読み込んだ解釈があり、そして作り過ぎず芝居全体のバランスから出過ぎ無いという事にセンスを感じるのだ。スターにありがちな、役以前に自分オーラ出しまくりではなく、作品の役に木村功の顔と体ですっぽり収まっていて不自然じゃなく、そして説得力がある所が良いのだ。彼の100を超える出演映画作品を全てを観た訳では無いが、私は彼が30代で演じた『七人の侍』の勝四郎の演技がとても好きだ。私生活では二児の父となっていた彼が、元服前の少年侍を演じているのに、違和感が無い。役者である。

功さんの声もとても特徴があり、少し高いキーで生真面目というか昔気質な滑舌が私は大好きだ。あの端正な顔でフランク永井ばりのソフトなバリトンだったら、逆にToo Muchで嫌らしい感じがしてしまう。彼の宮沢賢治の詩の朗読は、その力強い声のトーンと畳み掛ける様なスピード感に胸がドキドキしてしまう。故郷の広島弁で彼はどのように話すのだろう?聞いてみたかった。

木村功さんは、歳を重ねる毎に魅力的な男になっている事にも注目すべきだ。ちょっと見には今流行の『ちょい悪オヤジ』とでも言う様な、ニヒルでクールな大人の魅力がある。皺の一つにまでも潔さを感じる。それは、親の期待に背いて歯科医の道を捨て、文学と芝居の道を選び、そしてその両親を広島の原爆で失うという経験。貧困と混乱の戦後を乗り越え、最愛の人達を大切にしながら、演劇という自ら選んだ道をひたすらに走り続けた。それゆえ晩年に劇団青俳倒産の責任を負ってしまうのだけれど、そう言う事にも逃げも隠れもせず筋を通す、ひたむきで誠実な彼の生き様と、人に優しく自分に厳しい彼の人柄が伺えるからかもしれない。私が男だったとしても惚れるだろう。兎に角、人としてかっこいいのである。

1981年に58歳という若さで他界された事が本当に残念です。